「バーガーランド物語」第3巻全文  
まえがき
 
“覚えておくといい。人間にはいくつもの『力』がある。大切なのは、いつでもその『力』をすべて出しつづけることだ。”

・・・ソロウは、あの不思議な老人に言われた言葉を思い出していました。
目の前には、大きな箱に収められた銀色に輝く大小2つの箱。
「これが本当に、ネオの言った『ハイパーマシン』なんだろうか・・・」
そうつぶやきながら、ソロウは箱の脇に座り、小さな冊子のようなものを手に取りました。それは、最初にこの箱を見つけた時に誰かが途中まで読んだ、あの説明書でした。
「なになに・・・ “この機械の使い方”、 “この機械にできること”、“この機械の仕組み”・・・」ソロウは、説明書に書いてある見出しを読みはじめました。すると、ある見出しのところで読む声が止まりました。
「・・・“この機械の収納の仕方”、“この機械にかけた夢”・・・」
「・・・夢?この機械にかけた夢だって?!」ソロウは、驚いてつい大声を上げてしまいましたが、実際それは無理もないことでした。
この機械に限らず、いままで仕事のことで“夢”などという言葉が使われたことなど、一度もなかったからです。                                               
「夢って、いったいなんのことだろう・・・」ソロウは不思議に思いながら、その見出しのあとに続いている文章を読みはじめました。
「 “いまこのバーガーランドには、大きな危機が広がっています。その危機とは、多くの場所で、人間が大切にされなくなっていることです。その危機からバーガーランドを救うために、この機械はつくられました。私たち開発者は、カンリがこの機械を使うことで、もっとシンミが大切にされる国になることを夢に願っています。”・・・」
シンミが大切にされるようになる、というところまで読んだところで、頭の上から音楽が聞こえてきました。それは久しぶりに聴く、朝の仕事のはじまりの音楽でした。
ソロウは、説明書を上着のポケットに入れると、素早く立ち上がりました。
(機械を使うことでシンミをもっと大切にできる・・・)ソロウは立ったまま少し考えました。ソロウにとって仕事とは、誇りを持ってするべき大切なものでしたが、仕事に対して何か夢を持ったこともなければ、ましてやバーガーランドで人間が大切にされているかどうかなどと考えたことは、いままで一度もありませんでした。
そしてソロウは、食堂を出て、何日かぶりの仕事場へ向かって歩きはじめました・・・。

第1章 「分厚いマニュアル」
 
「やあ!みんなおはよう!」元気いっぱいに挨拶をしながらソロウがカウンターに入っていくと、そこにはオックが驚いた顔でこちらを見つめていました。
「ソロウ!ソロウじゃないか!」
オックは、そう言いながら嬉しそうに笑って言葉を言いかけましたが、急に何か思い出したような顔をしたかと思うと、すぐに真面目な顔になってカウンターの方へ向き直り、ソロウを無視して一生懸命に机の上の書類を整理しはじめました。
その様子があまりにも突然だったので、オックがどうかしてしまったのかと思い、誰かに聞いてみようと思って周りを見回してみたのですが、ショップの誰もがオックと同じように、必死の形相で机に向かって仕事をしていました。
(いったい何が起こったんだ?)ソロウは、訳が分らないままに、自分のカウンターのイスに座りました。すると、机の脇の書類立てに見慣れないファイルが置かれていました。ソロウはその分厚いファイルを手に取ると、中を開いて読みはじめました。
そのファイルには、ソロウが一日で行わなければならない仕事の内容が細かく書かれていました。
処理すべき書類の種類と枚数、書類ごとの書き方とまとめ方・・・。各書類の処理にかけていい時間が記載されている隣には、実際にかかった時間を記入する欄もありました。
 (何なんだろうこのファイルは?)
ソロウはその膨大で細かな規定に驚いてしまいました。ですが、もっともソロウを驚かせたのはシンミの扱いに関する部分でした。
 (何だって?一人のシンミの手続きには10分以上時間をかけてはいけないって?一日に処理しなければならないシンミの最低数が決まっているって?)
そのあとには、シンミとの会話のしかたや効率的な処理のしかた、そして判断に困った時の上手な追い帰し方までも書いてありました。
「これは誰のファイルだい?」
ソロウがそう大声で周りの同僚に尋ねると、隣に座っている同僚が言いました。
「それは君専用のマニュアルだよ。ソロウ」
そうして、その一言だけ言うと、またすぐに机に向かって必死に仕事をしはじめました。
ソロウは、まったく訳が分らずにポカンとしていましたが、時計が9時を告げて店のシャッターが開くと、たくさんのシンミが入ってきたので、すぐに仕事に取りかかりました。
ところが、仕事がはじまるとすぐに、何か違和感を感じました。
はじめはそれが何だか分りませんでしたが、しばらく周りの様子に注意して見ているうちに、ようやくその訳が分ってきました。
ソロウが感じていた違和感は、同僚とシンミが交わしている会話の内容でした。
ショップが開いてからもうすぐ1時間近くになるというのに、ショップの中ではほとんど誰もシンミと会話を交わしていなかったのです。
たまに聞こえる会話も、どこかで聞いたような言葉ばかりでした。その言葉が、さっき見たばかりのマニュアルにあった、“シンミとの理想的な会話”というページにあった言葉と同じであることに気づくまでさほど時間はかかりませんでした。
「あの・・・。済みませんが、お願いします」
その声でハッとして前を見ると、そこにはシンミの女性がひとり立っていました。
「はい!それでは品物をここに出してください。いま計算しますので」
ソロウは、これまでと同じように手際よく品物の種類や数をチェックし終えると、ハンバーガーをその女性に渡しました。すると、
「まあ!このハンバーガーつくりたてね!」女性はそう言って、驚きました。
ソロウは、ますます訳が分らなくなりましたが、笑顔で女性に向かって、
「はい。ハンバーガーはやっぱり、つくりたてが一番ですから」と言いました。
女性は、まるで珍しいものでも見るように、いまソロウが渡したハンバーガーを眺めながらショップから出て行きました。
ソロウは、再び隣の同僚にどうしてこうなったのかを尋ねようとしましたが、同僚は忙しそうにするだけで、ソロウがいくら呼びかけても答えてくれませんでした。
どうしたらいいかと思ってソロウが考えていると、先輩のカンリがソロウの隣へ歩いてやってきて、立ったままでソロウに声をかけました。
「ソロウ。忙しいところ悪いが、上司が君を呼んでいるそうだ」
「分りました。いま行きます」ソロウがそう言って席を立ちかけると、
「早くしてくれよ。それと、いま席を離れている時間は、書類処理時間としてカウントしていいとのことだから、安心して行ってきなさい」先輩がそういいました。
「カウント?・・・はい。・・・分りました」
ソロウは何のことかまったく分りませんでしたが、先輩に言われたとおりに上司の部屋へ向かって足早に廊下を歩きはじめました。

トントン。ソロウが上司の部屋のドアをノックすると、中から
「はい。どちら様ですか?」と、上司の声が聞こえてきました。
「ソロウです。入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」と上司が言うと、ソロウはドアを開けて部屋へと入っていきました。
「失礼します」
「やあソロウ君。体の具合がずいぶん悪かったようですが、もう大丈夫ですか?」
「ええ。もうすっかり良くなりました。ご迷惑をおかけしました」
ソロウは、具合が悪くなった原因が、この上司に言いつけられた仕事にあったということを思い出して、すこし変な気分になりましたが、元気良く笑って頭を下げました。
「いや。君が悪いんじゃない。体の不調は誰にでもあるものだからね。さあ、ソファに掛けてくれ」そう言いながら、上司もソファに向かって歩きだしました。
ソロウは、上司に言われたとおりにソファに座って、次の上司の言葉を待ちました。
上司はソロウの向かいのソファに座ると、ゆっくりとソロウに言いました。
「君が休んでいる間に、食堂に新しい貼り紙が貼られたことは知っていますか?」
「いいえ」ソロウは、首を横に振りながら答えました。
「同僚の誰かが教えてくれなかったのですか?」上司の話し方には、どこか冷たい言い
方があり、ソロウはその部分がとても嫌でした。
「ええ。でもそれは、みんなとても一生懸命に仕事をしていたので、僕に貼り紙のことを話すことを忘れていたのだと思います」ソロウは、同僚の悪口を言ったようにならないように気をつけて話しました。
「一生懸命・・・か。まあ無理もないですね。あの貼り紙が貼られたからには、私としても、もう一刻の猶予も許されませんからね。ソロウ君にお願いしたあの件も、休んで遅れた分も含めて、早急に取りかかっていただかないといけません」
「あの件というのは、先日届いたあの機械を使って、ハンバーガーをもっと多くの人に配るという仕事のことですね」
「そうです。新しい貼り紙には、あの機械のことも書いてありましたから、行って見てみたほうがいいですね」
ソロウは、その言葉を聞いて、さっき読んだあの機械の説明書の言葉を思い出しました。(機械を使うことでカンリをもっと大切にできるという、あの説明書の言葉の意味も、
もしかしたら貼り紙を見たら分るかもしれないな)
「分りました。いますぐ新しい仕事に取りかかります」ソロウが力強くそう言うと、「うんうん。それでこそソロウ君だ。期待していますから、頑張ってください」
「はい!それでは、失礼します」ソロウは、すこし頭を下げてお辞儀をすると、そのまま部屋のドアへ向かって歩きはじめました。しかしドアの前に立つとそのまま外へは出ずに、クルッと後ろを振り返って、上司に向かって話しかけました。
それは、今朝、仕事にきてからずっと疑問に思っていたことで、同僚に聞きたくても聞けなかった質問でした。
「あの。ひとつ質問があるのですがいいですか?」
「どうぞ」上司はソファに座ったまま、にこやかな顔で言いました。
「僕が休んでいる間に、僕の席に配られたあのファイルは、みんなにも配られているのですか?」
「それを聞いてどうするのですか」上司の顔から、にこやかな笑顔が消えました。
「べつにどうする訳でもありません。ただ、あのファイルは僕専用だと聞いたので、他のみんなはどうなのかと思って・・・」
上司は、少しだけ下を見て何か考えていましたが、すぐにまたソロウを見て言いました。
「あのファイルは、このショップで働くすべてのカンリそれぞれに、自分専用の一冊が配られています。ファイルに書かれた結果は毎日集計されて、私のところに来ます」
上司の話し方には、何か奥がありそうな感じでしたが、それが何なのかソロウには分りませんでした。
「集計されたデータは何に使われるのですか?」ソロウは重ねて聞きました。すると、上司は一瞬ソロウの顔を見つめた後で、にこやかな顔に戻って言いました。
「あなた方の仕事の量が多過ぎたりして負担になっていないかどうか、あるいは部署によって仕事量に偏りがないかどうかなどを調べて、公平な仕事環境をつくるために使うのです」上司はそう答えると、ソファから立ち上がって言いました。
「それでは、私はこれから一件、電話しなければならないところがあるので、これで失礼させていただきます。まだ質問があるようでしたら、また日を改めて聞きに来てください。いつでも歓迎します」
「分りました。それでは失礼します」ソロウは、上司のきっぱりとした言い方に少しとまどいましたが、すぐに頭を下げて部屋から出て行きました。
上司の部屋を出ると、ソロウはまっすぐに食堂へ向かって歩きはじめました。
今朝、食堂に行ったときには箱にばかり気を取られて、壁の貼り紙はまったく見なかったので、新しい貼り紙が貼られていたことなど、まったく気づきませんでした。
ようやく食堂の前に行くと、少し開いているドアの隙間から部屋の壁に3枚の貼り紙が貼られているのが見えました。
ソロウは、食堂のドアを開けて中に入ると、3枚目の新しい貼り紙の前に立ちました。そして、顔を少しだけ上に向けて貼り紙の文字を読みはじめました・・・。

第2章 「不可解な数字」
 
壁に貼られている新しい貼り紙を読み進むうちに、ソロウはひどく戸惑ってしまいました。
どんなに頑張って理解しようとしても、ソロウにはその貼り紙に書かれている内容が全然、理解できなかったからです。
新しい貼り紙には、こう書かれていました。

「バーガーショップで働く、すべてのカンリの者へ告ぐ。
 バーガーランドにおける旧ルールを、次のように変える。
<カンリの旧ルールとその変え方>
一. 22は、より少なくする。
二. 40は、より少なくする。
三. 3.82は、より少なくする。
四. 50は、もっと多くする。そのために、新しい機械を使う。
新ルールについて意見がある者は、その意見を国王まで申し入れよ。
                       バーガーランド国王」

ソロウは、何度も貼り紙を読みなおしてみましたが、やっぱり少しも意味が分りませんでした。
すると、ふいに誰かが後ろからソロウの肩を叩きました。ソロウが驚いて振り返ると、そこには白い服を着たコックのギビンが立っていました。
「やあソロウ。このところずっと見なかったけど、どうしていたんだい?」
「ちょっと具合が悪くてね。ところでこの貼り紙は、いつから貼られていたの?」
「ああ、そうだな4〜5日前くらいかな」そう言うと、ソロウを見ながら笑って言いました。
「やっぱりソロウも、その貼り紙の数字の意味は分らなかったか」
「ソロウも・・・って。みんなも分らなかったの?」ソロウは、少し安心しました。
「ああ。最初に貼り紙を見たとき、みんなはひどくうろたえていた。何しろ、変な数字が並んでいて、どうしたらいいのかまったく分らなかったからな」
「それで?みんなそのまま、いまも意味が分らないのかい?」
すると、ギビンはすこし表情を曇らせながら、ソロウに向かって言いました。
「いや。あれは、たしか貼り紙が貼られた次の日だった。この食堂にショップで働いている全員が集められて、説明会が開かれたんだ。この貼り紙の数字の意味について説明するための会が。その時に、みんな一冊ずつ何かファイルのようなものを渡された。そのファイルをみんなに開かせながら、君の上司がみんなに向かって言ったんだ」
そして、視線を天井へ移して、そのまま話を続けました。
「あれからみんな、すっかり変になっちまった。廊下で会って笑いかけても、誰も笑い返しやしない。お昼の時だって、いままでみんな、あんなに楽しそうに話しながら食べていたのに、いまではただ急いで口に詰め込むと、すぐに席を立って出て行ってしまう。みんなすっかり何かが変わっちまったんだ」ギビンの声は、すこし哀しそうでした。
「ギビン。上司は、いったいみんなに何を話したんだい?」ソロウは、この異常な事態の原因は、きっとその上司の話した言葉の内容にあるのだと思いました。
「教えてくれ。いったい彼はみんなに何と言ったんだ」
「それが・・・たぶん仕事のことだと思うけど、僕にはよく分らないんだ。ただ、その言葉を聞いたとき、本当に嫌な感じがした。それぐらいしか分らないんだ。すまない」
「いや、教えてくれてありがとう。それだけで十分だよ」ソロウは、ギビンの肩に手をかけながらゆっくりとうなずきました。
やがて、ソロウはギビンから離れて食堂から出て行きました。廊下から食堂を振り返ると、食堂に一人残されたギビンが、寂しそうな目でいつまでもそこに立っていました。
廊下を早足で歩きながら、ソロウはずっと、今朝会った時のオックの表情を思い出していました。
(最初にオックが僕を見て驚いた時のあの表情は、確かに以前のままだった。それが、
急に何かを思い出したように仕事に戻った。たぶん、彼ら自身が何か変わったのではなく、何かそのように行動しなければならない理由があったからだ)
やがてソロウは、仕事場に戻ると自分の席に向かって歩きました。カウンターでは、オックが今朝とまったく同じ様子で黙々と仕事をしていました。
ソロウは、オックの机の後ろを通りながら、オックの机の上に小さくたたんだメモを置きました。オックは、そのメモには目もくれず、ただ静かに仕事を続けていました・・・。

午前の仕事の終わりを知らせる音楽が天井から鳴って、みんなが机から立ち上がりました。いつもならがやがやと、うるさいくらいに話し声が聞こえるはずの時なのに、誰一人として話をしません。
ソロウは、急いでオックのそばにいくと、オックに言いました。
「オック。さっきのメモにも書いたけど、昼休み時間をくれないか。聞きたいことがあるんだ」
「・・・。ソロウ、実は・・・。」オックが申し訳なさそうな声で言うと、
「分っている。できるだけ時間は取らせないから。ほんの10分でいいんだ」
そう言いながら、ソロウはオックの手を引きながらカウンターから出て、ショップの外へ出ました。外へ出ると、ソロウは急いでオックに尋ねました。
「時間がないから、要点だけ聞くよ。あの貼り紙にあった数字の意味を教えて欲しい」
ソロウは、オックの目を見つめながら真剣な声で言いました。オックは、そんなソロウの顔を見て、大きくひとつためいきをついてから、話しをはじめました。
「あの貼り紙が貼られた次の日のことだった。仕事が始まる10分くらい前に、僕らはみんな食堂に集められた。そして彼が前に出てみんなに向かってこう言ったんだ」
「何て言ったんだい?」
「 “これからは、この貼り紙の数字を一番大切にしてもらいたい”って、そう言ったんだ。それから、貼り紙の数字の意味について説明しはじめたんだ」
ソロウは、オックが話す言葉をひとことも聞き漏らすまいと、身を乗り出しました。
「あの数字の意味は、最初の22というのはショップの種類のことで、いまこのバーガーランドにあるすべてのショップは、大きく22種類に分けられるのだけれど、この数をもっと少なくしたいらしい」
「他の数字は?」
「40というのは、一週間にする仕事の時間だそうだ。これを減らすようにと言われた。
その次の3.82というのは、バーガーランド全国民に占めるカンリの割合で、これも徐々に減らすと言っていた」
「最後の50というのは?」
「僕らと同じようなショップで、一年間にバーガーランドの国民から集めている品物の数だ。どういう単位かは分らないが、僕らは一年間で50の品物を集めて、その分のハンバーガーをみんなに配っているらしい。そして、最後のこの数字だけはもっと多くしなければならないそうだ」
「なんでそんなことをする必要があるんだ?」
「理由は分らない。それは説明にはなかったから」
「じゃあ、やる方法は?具体的には、どうやってやるんだい?」
「うん。僕らもそれを訊いたんだ。そしたら、渡されたのがあのファイルだった。君の机にもあっただろう。あの分厚いファイルが」
「うん」ソロウは、厚いファイルいっぱいに書かれた細かな文字を思い出しました。
「彼が言うには、あのファイルこそがすべてらしい。あのファイルの通りに仕事をすれば、ひとりでに貼り紙に書かれた数字の通りになるらしいんだ」
「もしファイルに書かれたことを守らなかったらどうなる?」
「分らないけれど、ひどく大変なことになるらしい」そう言うと、オックは急に心配そうにソワソワしはじめました。そして、ソロウに向かってこう言いました。
「ソロウ。悪いけどもう戻っていいかな?いま僕は、ファイルにあったハンバーガーを渡す達成率に足りないから、一刻も早くカウンターに戻って、少しでも多くのハンバーガーを渡さなくちゃならないんだ」ソロウは、もう泣きそうな顔でした。
「忙しいところを悪かった。ごめんよ。おかげでよく分った。ありがとう」
ソロウは、ショップの中へ走って入っていくオックを見つめながら、険しい顔でずっと考え込んでいましたが、やがて午後の仕事の始まりを告げる音楽が聞こえてくると、自分もショップの中へ向かって歩きはじめました。

第3章 「ソロウの怒り」
 

自分の席に戻ったソロウは、閉じたまま机の上に置かれているファイルを、じっと見つめていました。昼食時間が終わるまでは、あと10分くらいありました。すると、
「・・・ソロウ。おいソロウ」
隣の同僚が、ソロウに声をかけてきました。
「ソロウ。今朝のあの処理は良くなかったぜ」
「今朝の処理って・・・?」
「今朝、お前が相手にしたあのシンミの女性のことだよ。あんな風にいろいろ話したり、いちいちハンバーガーを作っていちゃ、時間がかかって数字は達成できないぜ」
「数字って、何の数字のことだい?」
「知っているくせに。ファイルに書かれている数字だよ。一日に渡さなくちゃならないハンバーガーの数が書いてあっただろう?」
「ああ。それは見たよ。けれども、数字はただの数字だ。それに、確かに僕らの仕事はハンバーガーを渡すことだけど、大切なのは数の多さだけじゃないだろう?」
「甘いなぁソロウは。そんなことじゃあそのうちオックみたいに・・・おっと!こんなこと話しているヒマはない!早く仕事しなくちゃ!」
 そう言うと隣の同僚は、ファイルを机の上に広げて必死に書類を書き始めました。
「オックみたいに・・・?オックがどうしたんだ?教えてくれ」
しかし、隣の同僚はもうソロウの言葉にはまったく耳を貸さずに、黙々と書類を書いていました。
ソロウは、居ても立ってもいられず、いますぐにオックのところへ行って話をしたいと思いましたが、ソロウのカウンターの前には多くの人が並んでいて、とてもじゃありませんが、オックの所へ行くことはできませんでした。
 そうして、どれくらいの時間がたったことでしょうか。ふと気がつくと、仕事の時間の終わりを告げる音楽が天井から流れてきました。しかし、それでもソロウのカウンターの前には、まだまだたくさんの人が並んでいます。
「おかしいな。なんで僕のところだけが、こんなに混んでいるんだろう?」
ソロウには、その理由がまったく分りませんでした。でも仕方がないので、ソロウは一生懸命に書類を書き、ハンバーガーを渡しつづけました。そうして最後の一人にハンバーガーを渡した時には、すでに業務終了時間から1時間が過ぎていました。
「やれやれ・・・」
ソロウがひと心地ついて、イスの背もたれにもたれかかった時です。ふとあたりを見回すと、もうショップの中には、誰一人として残っていませんでした。
「なんでみんな、こんな早い時間に帰るんだろう?」
ソロウがそう思いながら、ショップを出て事務所に帰ろうと廊下へ出ると、廊下の端で一人の女性の同僚が泣いているのが目に止まりました。
よく見るとその女性は、ソロウやオックと仲の良い、レイという名の同僚でした。レイとソロウとオックは、3人とも同じ年齢ということもあって、よく一緒に遊びにいったり、ご飯を食べたり、いつも仲良くしていました。
ソロウは、レイに近づくと声をかけました。
 「どうしたんだレイ?なんでこんなところで泣いているんだ?」
「だって、これじゃあオックがかわいそう!」レイは、ソロウの肩に顔を押しあてながら大声で泣きはじめました。
「オックだって?」
ソロウは、さっき昼に隣の同僚に聞いた言葉が頭に蘇ってきました。
(あの時も確かに、オックのことを言っていた。いったいオックに何があったんだ?)
「レイ!オックに何があったのか話して!」
「みんなずるいの!オックは人が良いから、いちばん要領が悪くて、でも本当はいちばん一生懸命にやっているのに誰からも認められなくて、あれじゃあオックが!」
「レイ!落ち着いて!頼むから落ち着いて、僕にすべてを話してくれ」
 ソロウが何度もレイの耳元で話すうちに、ようやくレイは泣き止みました。そして、ゆっくりと話しはじめました
「私が最初にあれに気づいたのは、貼り紙についての説明会があったその次の日くらいだったわ。自分と比べて、隣の同僚の前の列が妙に早く進んでいるので、おかしいと思って聞き耳を立てて会話を聞いていたら、普通の人の時にはちゃんと処理をしているのに、ちょっと難しい書類が必要な人だったりすると、あっちへ並んでくれって、オックのカウンターをあごで指すの」
 「・・・」ソロウは、目を大きく見開いたままレイを見つめていました。
 「オックは、それでも最初の頃は必死になって処理していたので、なんとかみんなと同じくらいの時間には仕事を終えていられたんだけど、でも・・・」
 「でも?」
「その次の日から、その様子を見ていたショップ中のみんなが同じ事をしはじめたの」
 ・・・ソロウは、激しい怒りで頭の中が真っ白になりました。
「そうしてショップ中のみんながオックのところへ難しい人を回すものだから、とうとうオックは処理しきれなくて仕事が遅れてきて、でもそれでもオックは、自分までがそういう風に都合の良い人だけを相手にしていたら、難しいものを持ってきた人は誰からも見てもらえなくてかわいそうだからって言いながら、全部の人を処理していたわ」
ソロウは、もう何も言えませんでした。
「だからオックは、いつでも数字が達成できずに叱られていたの。そしてついに、昨日の夕方にあの上司に呼び出されて言われてしまったらしいの」
 「何て・・・言われたの?」
「君は、仕事が遅いからカンリには向いていないんじゃないかって・・・。辞めたければ、いつでも辞めていいよって・・・」
ソロウは、怒ってもどうにもならないことは分っていました。ましてや、いまここでレイに向かって文句を言っても仕方がないことも、十分に承知していました。でも、それでもどうしても、思っていることを言葉にせずにはいられませんでした。
「僕たちは、ショップの利益やあの上司の成績のために存在しているんじゃない!僕たちカンリの仕事は、シンミを大切にすることなんじゃなかったのか!成績の良いカンリより、ちゃんとシンミを大切にしているカンリこそが評価されるべきなんじゃないのか!いったい僕らは、何のためにこの仕事をしているんだ!何のため・・」
ソロウが叫ぶ言葉は、最後は涙で喉がつまって声になりませんでした。
「・・・ソロウ。オックはこのままショップを辞めさせられるの?」
「そんなことは、絶対にさせない。ショップや自分の成績のためじゃなく、シンミのた
めに一生懸命にやっている者の評価が悪かったとしたら、それは評価する側の評価のやりかたが間違っているんだ。それを変えなければ、いちばんかわいそうなのはシンミだ」
するとレイは、ソロウの顔を見ながら不安そうに言いました。
「でも、国王が決めたことだし、第一あの上司に反対するなんて・・・」
「レイ。実は、僕は前からずっと思っていたんだけれど、僕らは一人ひとりではあまり
にも弱すぎるんじゃないかって思うんだ。弱すぎるから、きっとずるくなると思うんだ」
「弱いからずるいって・・・どういうこと?」
「自分が強いと思っていれば、他の人を大切にできるよ。でも自分が弱いと思っている
と自分を守ることで精一杯で、他の人を大切にする余裕がなくなるんだ」
「それは何となくわかる気がするわ」
「僕は、本当は自分自身ですべてのシンミを大切にしてやりたいと思う。でも、僕一人ではすべてのシンミは多すぎて見られないから、だからまずすべてのカンリを大切にしようと思うんだ」
「カンリを大切にするって・・・」
「僕は、自分たち自身を守る組織をつくろうと思う。そうして、その組織はまずカンリ
を人間として大切にするんだ。同じようにカンリは、シンミを人間として大切にする。そして国そのものも、国民を人間として大切にする。そうやってみんなが、相手を人として大切にすれば、書類の枚数や速さがどうのこうのではなく、人として僕らは絶対に幸せになれると思うんだ」
「人が人を守るのね」
「そう。誰もが人を人として大切にするんだ」
「数字を守るために働くのではないのね」
「うん。数字も規則も、人を守るための道具なんだ。大切なのは、人そのものなんだ」
「いまのあなたの話を、いますぐオックに聞かせてあげて欲しいわ。オックはいま、一人でとても苦しんでいると思うの。早くあなたの言葉を聞かせてあげて欲しい。オックに一刻も早く、あなたは何も間違っていないと言ってあげて」
「うん」
ソロウは、ゆっくりとうなずくと、出口の方へ向かって歩き出しました。そうして、出口のドアの前に立つと、ソロウはレイの方に振り返って、少し笑いました。レイも、少しだけ笑顔になりました。そのレイの笑顔を確認すると、ソロウは出口のドアを開けて外へ飛び出していきました・・・。


第4章 「シンミの気持ち」
 

「オック!僕だ!ソロウだ!開けてくれ!」
ソロウは、オックの家のドアを叩きながら大声で言いました。
 やがて、家の奥から足音がして、入口のドアが開きました。出てきたのはオックでした。オックはとても疲れた顔をしていました。
「ああソロウか・・・。悪いけど、いま誰とも話したくないんだ」
「オック、聞いたよ。ショップのみんなが何をしたのか、昨日あの上司から何を言われたのか、すべてレイから聞いた」
 「・・・」オックは、うつむいたままでした。
「君のとった行動はまったく正しい。それだけを言いたくて来たんだ」
オックは顔を上げて、じっとソロウの目を見ましたが、やがて口を開いて言いました。
「ありがとうソロウ。でも、いくらソロウがそう言ってくれても、彼らの態度は明日もあさっても、きっと変わらないだろうよ」
「うん。僕もそう思う。でも、だからといってオックがショップを辞めさせられるなんて、そんなことには絶対に納得できない。君のやったことはすべて正しかった。その正しさをきちんと認めて、評価できる組織じゃないことがおかしいんだ」
「それは僕だってそう思う。けれども組織や決まりに対して、たとえ僕が何か言ったとしても、それで何かが変わるなんてこと,絶対にないじゃないないか」
「このままなら確かにそうだろうね。・・・でも、僕はここまで自転車で走りながらずっと考えてきたんだけど、もしかしたら以前とは状況が変わっているいまなら、僕らの声で何かを変えられるかもしれないって思っているんだ」
「状況?以前とは状況が変わっているって、何かが変わっているのかい?」
「うん。まだみんな気づいていないかもしれないけれど、いまこのバーガーランドでは、僕たちカンリに対する批判がものすごく高くなっている気がするんだ。」
「・・・批判って、シンミからの?」
「そう。だからその批判をなくすために、国の法律を決めたりする人たちがいろいろ考えて、いままでの決まりを変えようとしはじめた。そのことを国中のみんなに知らせようとしているのが、あの黄色い貼り紙なんだ。あの黄色い貼り紙はきっと、本当なら僕たちだけでは絶対に動かすことのできないはずのこの国の決まりが、いま変わろうとしていることを、僕たちカンリに知らせる印としての役割だったんだ」
ソロウの話す言葉は、オックにとって驚くようなことばかりでした。カンリに対する国中の批判が高まっていること、国がそのために決まりを変えようとしていること、あの黄色い貼り紙がそれを告げる役割であったこと・・・。オックは、ソロウ話す言葉にひとつひとつうなずいたあとで、ソロウに尋ねました。
「でも、国の法律を決める人たちが、すでに新しい決まりをつくっているんだろう?だとしたら、僕たちはそれに合わせる方がいいんじゃないかな。カンリの仕事は、国が決めたルールに従ってハンバーガーを配るのが仕事なんだから」
オックのがそう話すのを聞いて、ソロウは少し考え込んだ顔をしました。そして、ゆっくりと顔を上げると、オックに向かって言いました。
「・・・ねえオック。オックはどうしてカンリになったの?」
 ソロウの突然の質問に、オックは少しためらいましたが、すぐに答えました。
「僕は新しいことを考えたり、人に何かを売ったりすることがいつも苦手だったんだ。だから、カンリになれば毎日ただハンバーガーを渡していればいいと思って、それでカンリになろうって思ったんだ」そうオックが言うと、ソロウも、
「そうだよね。僕だって君と変わらない。はじめてカンリになった時には、確かに国の仕事をしているんだっていう責任感みたいなものもあった。でもいまは、カンリはシンミに比べて生活も安定しているし、毎日ハンバーガーを渡すだけだから、こんなに楽な仕事はないと思っているのが事実だ。ハンバーガーを渡すことだって、いまのように国に品物を納めるときにハンバーガーを渡す仕事でも、隣のショップのように自転車を登録する時にハンバーガーを渡す仕事でも、本当を言えばどれでも良いって思っている」そう言ったあと、少し間をおいてから、小さくひとつため息をついて言いました。
「・・・でも、本当はそれじゃいけないんだ。たとえば自転車を作るシンミの仕事なら、人が自転車に乗ってくれることに対して何の愛情も持っていない人が、ただ自転車を売れば儲かるという理由で工場を建てたり、そこで働く人たちも、ただ生活が安定しているというだけの理由で作っていたなら、きっといい自転車はできないと思う。自転車だけじゃなく、食べ物だって薬だって、電気だって水だって、ただ儲かるとか、それが仕事だからということだけでやっちゃいけないんだ」
 ソロウは、ゆっくりと、そして力強い言い方で話し続けました。
 「貼り紙の最後に、いつもこう書かれていたよね。 “新ルールについて意見がある者は、その意見を国王まで申し入れよ”って。きっとあの言葉は、国王が僕たち一人ひとりのカンリに宛てて書いた、いまならまだ変えられるぞ、っていうメッセージなんだと思う」
「・・・」オックは、ソロウの目をじっと見つめたまま、何も言いませんでした。
「きっと僕たちカンリにとっての一番の問題は、一人ひとりが、心からシンミのために仕事をしようと思っていないことなんだ。そして、その間違いにみんな気づいて、本当に正しくシンミのためになる努力をした人が報われるような、そんな決まりにしてくれるよう、僕はこの国の法律をつくっている人に訴えかけようと思う。もちろん、オックの仕事を正しく評価するように、上司にも働きかけるつもりだ」
「ソロウがいくら訴えても、たぶん何も変わりはしないよ」
「ひとりなら確かにそうだろう。だから、仲間を集めるんだ。たくさん集めて、みんなの声として訴えれば、必ず聞かなくてはならないはずだ」
オックには、ソロウの言うことがまるで夢の話しのように聞こえました。
(僕たちが訴えて国の決まりを変える?・・・あの上司に、面と向かって評価のしかたが変だって言うって?そんなことをしたら、いったいどんな制裁を受けるんだろう?)
オックは、ソロウの肩に手をかけて言いました。
「ソロウ。僕はもう大丈夫だから、変なことをするのは止めようよ。いいじゃないか何もソロウがそんなことしなくても。きっとどこか別の誰かが、上手にやってくれるよ」
「誰かって、いったい誰だい?」ソロウは、オックの目を見つめたまま、さらに大声で言いました。
「みんながそうやって別の誰かがやってくれると思って何もしないことが、自分たちをダメにしているんだ。オック!もういいかげんに気づいてくれ!そうやって僕たちが無関心だったり、他の誰かがやってくれるだろうと思って何もしないことが、すべての問題の原因なんだ!」
ソロウは、オックの肩に手をかけてオックの体を揺さぶりながら、大声で叫びました。オックは、急に怒りはじめたソロウを恐れて、目をふせたままでソロウから顔をそむけていました。ソロウは、そんなオックの様子に気づいて、
「・・・ごめん。つい気持ちが昂ぶってしまって・・・。オックに迷惑がかかるような真似はしないから、それだけは信じて欲しい」
そう言いながらオックの肩から手を離すと、後ろを振り向いて道路のほうへ向かって歩きはじめました。そして、クルッと振り返ると笑顔で、
「オック!レイが待ってるから、明日は必ずショップへ行けよな!」と言いました。
「うん。分かった」オックも、ソロウに向かって手を振りながらそう言いました。
そして、道路に止めてあった自転車にまたがると、ソロウは力いっぱいペダルを踏んで走り出しました。走っていく先を見つめるソロウのその目には、何か大きな決意のような光が輝いていました。

あくる日の朝、出勤のためにショップへ歩いてきたオックは、ショップの前に大きな人だかりのようなものがあることに気がつきました。
(いったいなんだろう?)
オックがそう思いながら近づいていくと、その人だかりの真ん中で誰かが大声で話して
いました。(いったい誰が話しているんだろう?)そう思ってオックが爪先立ちをして人だかりの上に顔を出した瞬間、オックはひどく驚きました。そこにいたのは、なんとソロウだったからです。ソロウは、メガホンのようなものを口に当てながら、周りの人に向かって大きな声で叫んでいました。
「カンリのみなさん!シンミのみなさん!聞いてください!私はこのショップで働いている者でソロウと言います。私たちカンリの世界では、いま大きな改革がはじまっています!その改革とは、私たちカンリの仕事を、シンミのみなさんと同じように、成果を目的とした仕事に変えようというもので、私はこの新しい決まりに対して国に意見を言いたいと思いますが、ひとりでは力が足りません。ですから、ぜひ皆さんの協力をお願いしたいのです!」
ソロウがそう叫ぶと、周りの人だかりからどこからともなく声が上がりました。
「カンリがシンミみたいになるのがどこが悪いんだよ!俺たちシンミのように、カンリだって景気が悪い時には、食べられるハンバーガーが少なくなるのが当然なんじゃないのか!」というと、周りの人たちもみんなも口々に言いました。
「そうだ!そうだ!カンリのハンバーガーを減らせ!!」
しかし、人だかりの半分くらいはまったく声を出さずに、ただ黙って聞いています。それは、このショップで働いている者や、たまたま出勤の途中で通りかかっただけのカンリたちでした。カンリたちはみんな、黙ったままで事の成り行きを息を殺して見つめていました。そして、その中にはソロウが勤めるショップの上司もいました。
上司は、騒ぎを聞きつけて止めさせようと思って外へ出たのですが、中で話しをしているのが自分のショップで働いている部下だと聞き、うっかり出て行って自分に対して何か言われたら困ると思い、人だかりの中から様子を見ていたのです。
ソロウはじっと考えていましたが、やがてその声が聞こえた場所へ向かって、ゆっくり大きな声で話しはじめました。
「カンリがシンミと同じ方法で仕事をすることが、本当にシンミのために良いことなのでしょうか?たとえば、そこのあなた。あなたがレストランに行ったら、自分だけおまけのデザートをつけてもらったとしたらどうですか?嬉しいですよね?またそのレストランへ行こうって思いますよね?」
ソロウが、前の方にいた人を見ながらそう言うと、その人は大きくうなずきました。
「でも、カンリはそれをしてはダメなんです。国民全体に対して、等しくサービスをすることがカンリの義務なんです。だからシンミのように、サービスをした相手から報酬をもらうのではなく、国民全体に対してサービスをして、代わりに国民全体から報酬をもらうのがカンリのシステムなんです」ソロウがそう言うと、また声が上がりました。
「それだからカンリは、いつもシンミを大切にしないんだ!」
「そうだ!そうだ!俺たちはいつも、自転車ひとつ登録するだけで何時間も待たされて大変なんだ。なのにカンリはいつだってのんびり仕事をして!」
「このショップだってそうだ!ちょっと難しい品物を持っていくと面倒くさそうな顔してよその窓口に回しやがって!そのたびに並び直すこっちの身にもなってみろ!」
 周りの人々が口々に叫ぶのを聞きながら、ソロウは改めてシンミの気持ちを身にしみて感じました。そして、おもむろに口を開くと静かな声でこう言いました。
「ここに集まっているカンリの皆さん、聞いてください。僕は、現場で働くカンリだけの組織を作りたいと思っています。そして、その組織の声を集めていまのショップのあり方を変えて行きたいと思います」
 突然のソロウの言葉に、カンリをはじめシンミも、集まっていたみんなが静まり返りました。そして、上司の顔に緊張が走りました。
 「本当にシンミのためになる仕事のやりかたとは何か?シンミのためになる仕事をしたかどうか誰が評価するのか?評価が上がったらどのくらい報酬を上げるべきなのか?そういった一切の決まりを、いま変えていかなければ、また同じ状態が続いていくだけです。変えましょう!みんなの声をひとつに集めましょう!バーガーランドのすべてのカンリのために!バーガーランドのすべてのシンミのために!」
 ソロウがそういい終わるか終わらないかの時でした、2〜3人の人がソロウの隣へ走り出てきて、ソロウの両腕をつかむやいなや、ソロウを連れ去っていこうとしました。
 「やめろ!お前らだってカンリだろ。誰に命令されてこんなことをしているんだ!」
 その男たちは,人だかりの中にいる上司の方をチラッと見ました。すると一瞬、上司は顔を伏せましたが、チッと小さく舌打ちをすると、にこやかな笑顔で言いました。
 「やあやあ、バーガーランドのみなさん。私がこのショップの責任者です。このソロウは、私のショップの中でも特に仕事が出来ない厄介者で困ってるんですよ。今日のことも、こいつが勝手に話しただけで、ショップとは全く関係ありませんので。それじゃあ」
そう言いながら上司がソロウを連れてショップに入ろうとした、その時です。
「ちょっと待って!」
人だかりの後ろから、一人の女性が、ソロウを連れ去ろうとしていた上司を大きな声で呼び止めました。
「彼を連れて行くのは、私の意見も聞いてからにして欲しいわ」
周りに集まっていたみんなが、いったい何を言うのかと、その女性に注目しました。ソロウも、その女性をじっと見つめました。
やがて、ソロウはハッと気づきました。
そうです。その女性は、昨日の朝、ソロウからつくりたてのハンバーガーを渡されて、とても驚いた顔をしていた、あのシンミの女の人でした。
「これは私のショップの問題です。シンミのあなたには関係ありません。黙っていてくれませんか!」
 上司がそう言ってまた歩きはじめようとすると、その女の人は続けて言いました。
「そうはいかないわ。あなたには私の言葉を聞く義務があるの」
上司は、その女の人をバカにしたように笑って言いました。
「はは!何を言ってるんだ」しかし、その次に女の人が言った言葉を聞いた瞬間、上司の顔は凍りつきました。
「それが国王の命令だといったら?」
 上司はもちろんのこと、その場にいた全員が、その言葉を聞いた瞬間に、誰もが言葉を飲み込み、人だかりはしんと静かになりました。
その女の人は、ソロウと上司の方を見つめたまま、静かに微笑んでいました・・・。

 
あとがき
  『上司・部下』
元内閣安全保障室長 佐々淳行

〜前段部分省略〜

「上司」たる者は「従卒の眼に英雄なし」という言葉を肝に銘ずるべきだ。「上司」と「部下」の理想的な信頼関係は、相互に「愛情(アフェクション)と尊敬(リスペクト)」を抱きあう、双方通行の感情の上に成り立つ。

「友情」も「恋愛」も実はこれと同じだ。上下の信頼はこの二つの要素のいずれかがあれば成立し得る。「認めない、嫌いだが、力量識見は尊敬できる」という形かあるいは「どうも尊敬はできないが人間的に愛すべき人柄だから」という形で特別権力関係はなんとか存続する。「憎むべき人物でしかも無能狭量」といずれの要素も欠ける場合は、その職場は地獄となるだろう。「上司」たる者の人間的器量については、アンドルー・カーネギーの墓碑銘「自ら、より賢き者を身辺に近づける術を知りたる者、ここに眠る」(Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer them himself)という銘文は熟読含味すべきものがある。危機管理の世界では、中間管理職(警察用語では「監督者」)の心得として「上司の慶事より部下の弔事」という鉄則がある。
 
次官・局長の娘の結婚式のお祝いと殉職した部下の通夜(家族の不幸も同じ)がバッティングしたときは、心ある中間管理職は白ネクタイは後回しにして黒ネクタイを結ぶべしということである。この「部下」に対する人間的な感情移入の有無が、「部下の「上司」に対する忠誠心の淵源となるのだ(よき上司としてのここを絵はまだまだたくさんあるが、紙面に限りがあるので拙著「平時の指揮官、有事の指揮官」を一読されることをお勧めする。実はこのゲラを読んだ文藝春秋の堤堯氏が「まるで自分を鏡で写してみているようだ」とショックを受けて即座に将来の文庫本化の予約があった程だった。)

 よき部下である要諦は、昭和六十一年七月内閣機能強化の第一弾として内閣内政審議室、外政審議室、安全保障室、情報審議室、広報官室のいわゆる内閣五室制が導入されたとき、時の官房長官後藤田正晴氏から初代の五室長に与えられたいわゆる「後藤田五訓」がそれである。

「後藤田五訓」とは
一、 省益を忘れ、国益を想え
二、 聞きたくもないような嫌な悪い事実を報告せよ
三、 勇気を以て意見具申せよ(私が官房長官ならこうしますといえ)
四、 私の仕事でないというな(消極的権限争議の禁止)
五、 決定が下ったら従い、命令は直ちに実行せよ

 この五訓を裏返せばすなわち危機管理の最悪の敵「官僚主義」になる。国益はそっちのけで省益を争い、悪い情報は報告せず、肝心なときは意見をいわず、私の仕事ではないと不作為に徹し、決定が下っても従わず、面従腹背、命令実行をサボタージュする・・・。こうなれば、その職場は破滅するだろう。
 内閣五室の初代室長たちはこの後藤田五訓を肝に銘じ、それを実行した。一代目以後この五訓はないがしろにされ、そして今日の行政不信を招いている。

※この佐々 淳行さんの『上司・部下』についてもっと詳しく読みたい方は、事務局までお問合せください。出典となった税大通信のバックナンバーをお渡しします。